Lampという、珠玉のメロディを、素敵な恋物語を惜し気もなく綴るバンドを、知ってからどれくらい経っただろう。
時計は逆回転<初めて出会ったのはそう、 たまたま遊びに来ていたお気に入りのクラブ・イベントだった。そこにゲストとして招かれていた彼ら。ライブ自体は音響設備の不具合もあって、決して秀逸とは言い難い出来だった(そもそもライブなんてまともにやれる場所じゃないのだ)。
しかし、その時もらったデモ・テープ(ここに「風の午後に」が収録されていた)を聴いた後、僕は彼らに、“ポップ・ミュージックにおける魔法の存在”を予感をした。程なくして発売された1stアルバム『そよ風アパートメント201』、予感は的中。続く2ndアルバム『恋人へ』、文字どおり最愛の人への思いを綴ったような作品――これまた音楽を聴く喜びの詰まった傑作だったことは言うまでもない。>時計は正常に戻る。
そして、今回の最新作、3rd アルバム『木洩陽通りにて』。
まずアルバム全体の印象で言うと、これまではトータルアルバムといった感触が強かったが、今回は曲単位にフォーカスした作品となっている。
「個々の作家としての自分たちを、大切にした作品にしたかった」(染谷)。
さしずめ前作までを長編小説とするならば、今作は短編集といったところか。ボッサやブラジル色は若干薄まったものの、長篇では表せていなかった実験的で自由度の高い作品の並ぶ、濃縮されたスパイスの効いた作品となっている――フリッパーズ・ギターキリンジ、富田LABなどにも通ずる、サンプリング世代の懐の深さを感じさせてくれる「今夜も君にテレフォンコール」、「木洩陽の季節」。「春ノ空」などのポップで華やかな楽曲。さらに「抱きよせたい」や「夜風」などの、パーソナルでより“歌”への愛に溢れた楽曲など、どれをとっても本当に素晴らしい作品ばかりだ。
ただ、そうは言っても、そこはLamp。トータルとしてのまとまりがなくなった訳ではなく、全体のトーンは失っていない。それどころか、焦点を絞ったことで、1曲1曲が山椒小粒なピリリとした作品として機能し、全体として、非常にバラエティに富んだアルバムに仕上がっている。
やはり、面白い長篇小説の書ける作家の、短編は面白いのだ。

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余談だが、個人的に、小説を読みながらや何かをしながら音楽聴くことが多い。たとえば小説を読みながら音楽を聴いていると、時折、小説の中の場面と相まって、リズムと風景・物語と物語、その双方が魔法を掛け合って世界を無限に広げていくような不思議な感覚が生まれる。決して、BGMや自己主張の強過ぎる音楽では生まれようのない感覚。Lampのつくり出す楽曲は、そういう感覚にぴったりハマる。染谷氏の言う「表現しない表現」とはこういうことなのかな。
僕はといえば今日もまた、そんな妄想にふけりながら、物語の交差を楽しんでいる。



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これは以前Lampの3rdアルバムがリリースされた際、HMVの特典冊子として発行されたフリーペーパーに、アルバムのライナーノーツ(?)として書かせていただいた原稿です。

今見ると、憧れだけで書いてる感じが丸出しでお恥ずかしい。
でも、こんな風に自由に形式にとらわれず、書けたことがうらやましかったり。

とにかく、まぁ、こんなふうにLampの音楽は素敵です。もともとほとんどロック一辺倒だった僕が、一気に傾倒したくらいですから。ぜひ聴いてみてください。

長くなりましたので、今日はこの辺で。